気が向いたら書く日記と、頂いたありがたき拍手への返信。並びに参戦したライブ感想、そのほか日常をボソボソと。
…先日の記事。
昨日の21時半にアップの予定の予定記事にしたのに。
見事玉砕、失敗しました。トホホ。
忍者ブログ、すんごい高機能なんですよ。←使い方がいまひとつつかめてないだけと人は言う…。
言い訳はおいとして。
さーくるの会員限定ページ見ました。
多分初めて(笑)
あの壁紙、完全にコラージュではないですか…。
てか、あんな小さい写真の集合体、誰得?
一山幾らの十把一絡げになってしまってからと言うもの、公式の写真の小さい事、小さい事。
泣きたくなりますよねぇ…。
今日はなんか久しぶりにウインドウズライブのメールボックスを覗いたら、なにやらインタビューが溜まっていたので答えました。
http://theinterviews.jp/lovediary
存在、忘れてた…orz
と言うよりもワタクシ、メアド幾つ持ってるのかも管理しきれてない…orz
こわー。
で。
今夜は1月2日。
だから特にどうと言うわけでもないんですけど、らぐとの出会いについて語ってみたいと思います。
初心に帰ってみようかと。
わたしがらぐと出会ったのは…サイトのトップページにも書いてありますが、 2002年6月20日20時5分頃。らぐが「うたばん」の初出演の時。
あの頃のわたしは新聞の番組欄の紹介内容に「天才あらわれる!」みたいなのが書かれていて「はーん?天才?何様だよ?」と思いっきりナナメに見ていたのでした(笑)
と言うよりも、ハモネプを見ていなかったので、知らなかったのです。
で、番組開始数秒で全身に雷が落ちました。
コイツら何者!?天才やんけー!!
特にハマったのが、おくんのボイパではなく、コーラス隊のハモりなんです。
あくる日、出ているCDはすべて買い、在庫の無かったフリフリだけは注文し。
海賊盤もキッチリ手に入れ、そこから坂を転げ落ちるようにハマって行きました。
当時出てた雑誌はすべて買い、バックナンバーも取り寄せ。
出でいるTVはすべて録画。
朝の番組のほんの数十秒でもガッツリ録画。
見れない地域のモノは、特に関東でやっていたらぐぴーなんかは親戚に頼んでビデオに撮ってもらい、郵送してもらうと言う。
後から気づいたんですが、実はワタクシ、らぐがデビューアルバムを出したあの12月。
CDショップで一度「I RAG YOU」を手に取っているんですよ。
当時ハモネプを知らず、店のポップを見て、へぇ~アカペラ、ふーん…てな感じで。
高校時代に合唱部にいたので、アカペラ自体は嫌いではなかったのですが、宗教色が強いイメージがあり、アカペラったらゴスでしょ?ゴスって敷居が高くてなんかお高いイメージがあって今一つ…と勝手な連想をしていて、一度は手に取ったそのCDを再び棚に戻したのです。
あの当時にCDを聴いていたらまた違った道のりを歩んでいたんでしょうな…。
どっちにしても遅かれ早かれ出会いは運命だったらしく。
とにかく一番にハマった理由はあのハモり。
あの声の重なりの奇跡は本当に衝撃的でした。
そして中でも3つのラインの一番下で全体をまとめるような溶け合わせてくれるような柔らかい声が。
その声の持ち主、リーダーにハマったのは、まずあの声からでした。
当時はフリフリをイヤホンでガッツリ聴きこんで、さらに面白い裏ワザ使ってコーラスだけを聴きだし、その上引地さんの声だけを耳が拾い出す、そんな作業を入念にしていたほど(笑)聴きこんでいました。
なのでBlue Moonのかとちの下ハモりにはドッキリです。
未だにあの下ハモりがかとちの声に聞こえなくて(笑)
…個人的にはかとひきなんですけがね←誰も訊いてない。
そしてリーダーに就任した引地さんの音楽=仕事に対する考え方に非常に感動し。
この人たちはプロ以上にプロ集団だ!とどんどん尊敬と敬愛と…もう教祖様的感覚ですよ(笑)
引地さんの真面目で誠実で真摯な音楽=仕事に対するその取り組み方に、一生ついて行く!と決心しました。
特に強く感じたのはあの音楽会の時です。
わたしの中ではらぐは今のようなエンターテイメント性が高い=楽しませよう、賑やか、明るく、よりもあの当時のもっと「聴かせる」の方が好みでした。
歌を届けよう、伝えようとがむしゃらに頑張ってたあの頃の、あの完成度の高いハーモニー。
もっとじっくり聴かせて欲しいと思っていたので、初期の頃、Sheストには手拍子要らない派(昔は賛否両論だったんですよ。手拍子が…)でした。
でもいつしか…たぶんあのメドレーが生まれた、武道館を境にエンターテイメント性の方が強くなって行って。
技巧的な事で悩んでいたのは薄々感じてはいました。
彼らもテレビでいちいちすごいとか言われ続けて不安だったんでしょう。
技巧の点からいったらスピさんの方が確かに巧いとは思います。
だけとらぐのハモりが完成度が高くなり、なおかつ楽しさもそこに加わってたら無敵じゃないですか。
わたしの中では唯一無二でした。
他のバンドと比べる事自体、失礼だと思ってましたしね。
(確かにたれ目さんが1/4音が下がってるとかよくあったしね・笑←そのたびかとさんやリダが『キッ!!』ってなってたんだよね・笑)
らぐ=アカペラだったわたしはあさSunでギターが入った事に少なからずともショックを受けましたが、一番ショックだったのはやっぱり七八でしょう。
あの頃のおくんの坊主反乱とひきちさんのテレビ(出るのが)キライにはきっと楽器導入の反発もあったのでは…と。
ほんと、あの当時仲悪かったんだよね~おくんとたれ目さん(笑)
デビュー当時の関東ローカルでやってた番組で、バンドが解散するのはこの二人の不仲だって言いきられてたしね(笑)
たれ目さんがおくんに歩み寄ってなんとか事なきになって…まあ色々あったんでしょうけどね。
なんか話が逸れたけど(笑)
とにかくわたしは引地さんの音楽に対する真摯な姿勢にほれ込んだわけですよ。
ところが…。
はくしょんて…。
いや、赤坂からか…。
なんで6人以外の道を作ったの?選んだの?
あの頃からなんかもやもやが溜まりだし。
その不安と心配は現実になって。
実は赤坂でFCの継続をしようとしたんですよ。
ただ、向こう1年以上も期限は残っていたけど、写真も欲しいし何よりファンを止めるつもりは全くなかったので。
ところが。
あの時、断られたんです。
年内いっぱいの方が対象です、それ以上残ってる方は今は出来ません。と。
のりちゃんに言われてなんでですか?と言い寄ったんですが明確に答えてくれませんでした。
ものすごく都合悪そうにしてて。
活動休止の事は多分その前の年の初めに決まってたと思うんです。
らぐの正月のFCイベント、横浜であったあの最後の時から。
だってあの当時で2年先の10周年について色々考えているとたれ目さんが言ったんですね。
そしてすごく遠くを見るような目で、今後もよろしくお願いしますって。
ヘンだなーと思ったんですよ。
来年の話ならともかく、その時点で再来年の話するなんて。
来年は活動しないのか?10周年に向けて準備するから来年は少し活動が減るのか?
そう思ったんです。
それがこんな顛末に。
なので10周年を境に活動休止か解散か考えていたのだと思っています。
でもらぐファンは…しつこい(いい意味で)から納得しない。
熱いし重いし強いし…らぐふぁんて濃いですよね。
熱狂的ファンが多いから、絶対解散は受け入れないと自分たちも分かってたはず。
それが今の状態になったのではないかと考察してます。
あれ?
なんか途中で話変わったけど(笑)
あの日以来ずっと見守り続け、ライブもツアーは最低でも1か所以上参戦し、取り敢えず月に願ってフリフリツアーとその後の富士急ハイランドのイベント、それとOOO以外はすべて行ってるし。
かなり無理して遠征に出かけ。
グッズは2個買いあたりまえ。CDに至っては3枚買いはデフォルト。
費やした金額は軽四だったら1台サックリ買えるほど。
それでも悔いはない。
それだけの価値があると信じているから。
何が好きかって、あの6人が輪になってアイコンタクトを取りながら心と息を合わせて作り出す、極上のハモりが好きなんですよ。
互いに信頼、尊敬しつつ、思いやりながら、時にはバトルもしながらの、あの奇跡なハモりが大好きなんですよ。
生でしか味わえない、その時その瞬間のあの音色。
生きてるって輝いてるって実感できる、あのライブでの6人の空間が好きなんですよ。
私的には楽しいは二の次で聴かせてくれるハモりが好みですが(笑)
(わたしはあくまでもわたしで彼らと同等にはなれないので一体感はいいとは思うけど、客観的に楽しみたい方、かな)
とにかくステージ上のあの6人が好きなんです。
ずっと眺めていたいんですよ。
(その輪に自分は入らなくて結構!てか6人が神がかり的な誰も入る隙のない、団結してる感じが好きなんです)
…。
分かるかな~?こんな思い(笑)
正月早々語ってしまい、失礼しましたw
昨日の21時半にアップの予定の予定記事にしたのに。
見事玉砕、失敗しました。トホホ。
忍者ブログ、すんごい高機能なんですよ。←使い方がいまひとつつかめてないだけと人は言う…。
言い訳はおいとして。
さーくるの会員限定ページ見ました。
多分初めて(笑)
あの壁紙、完全にコラージュではないですか…。
てか、あんな小さい写真の集合体、誰得?
一山幾らの十把一絡げになってしまってからと言うもの、公式の写真の小さい事、小さい事。
泣きたくなりますよねぇ…。
今日はなんか久しぶりにウインドウズライブのメールボックスを覗いたら、なにやらインタビューが溜まっていたので答えました。
http://theinterviews.jp/lovediary
存在、忘れてた…orz
と言うよりもワタクシ、メアド幾つ持ってるのかも管理しきれてない…orz
こわー。
で。
今夜は1月2日。
だから特にどうと言うわけでもないんですけど、らぐとの出会いについて語ってみたいと思います。
初心に帰ってみようかと。
わたしがらぐと出会ったのは…サイトのトップページにも書いてありますが、 2002年6月20日20時5分頃。らぐが「うたばん」の初出演の時。
あの頃のわたしは新聞の番組欄の紹介内容に「天才あらわれる!」みたいなのが書かれていて「はーん?天才?何様だよ?」と思いっきりナナメに見ていたのでした(笑)
と言うよりも、ハモネプを見ていなかったので、知らなかったのです。
で、番組開始数秒で全身に雷が落ちました。
コイツら何者!?天才やんけー!!
特にハマったのが、おくんのボイパではなく、コーラス隊のハモりなんです。
あくる日、出ているCDはすべて買い、在庫の無かったフリフリだけは注文し。
海賊盤もキッチリ手に入れ、そこから坂を転げ落ちるようにハマって行きました。
当時出てた雑誌はすべて買い、バックナンバーも取り寄せ。
出でいるTVはすべて録画。
朝の番組のほんの数十秒でもガッツリ録画。
見れない地域のモノは、特に関東でやっていたらぐぴーなんかは親戚に頼んでビデオに撮ってもらい、郵送してもらうと言う。
後から気づいたんですが、実はワタクシ、らぐがデビューアルバムを出したあの12月。
CDショップで一度「I RAG YOU」を手に取っているんですよ。
当時ハモネプを知らず、店のポップを見て、へぇ~アカペラ、ふーん…てな感じで。
高校時代に合唱部にいたので、アカペラ自体は嫌いではなかったのですが、宗教色が強いイメージがあり、アカペラったらゴスでしょ?ゴスって敷居が高くてなんかお高いイメージがあって今一つ…と勝手な連想をしていて、一度は手に取ったそのCDを再び棚に戻したのです。
あの当時にCDを聴いていたらまた違った道のりを歩んでいたんでしょうな…。
どっちにしても遅かれ早かれ出会いは運命だったらしく。
とにかく一番にハマった理由はあのハモり。
あの声の重なりの奇跡は本当に衝撃的でした。
そして中でも3つのラインの一番下で全体をまとめるような溶け合わせてくれるような柔らかい声が。
その声の持ち主、リーダーにハマったのは、まずあの声からでした。
当時はフリフリをイヤホンでガッツリ聴きこんで、さらに面白い裏ワザ使ってコーラスだけを聴きだし、その上引地さんの声だけを耳が拾い出す、そんな作業を入念にしていたほど(笑)聴きこんでいました。
なのでBlue Moonのかとちの下ハモりにはドッキリです。
未だにあの下ハモりがかとちの声に聞こえなくて(笑)
…個人的にはかとひきなんですけがね←誰も訊いてない。
そしてリーダーに就任した引地さんの音楽=仕事に対する考え方に非常に感動し。
この人たちはプロ以上にプロ集団だ!とどんどん尊敬と敬愛と…もう教祖様的感覚ですよ(笑)
引地さんの真面目で誠実で真摯な音楽=仕事に対するその取り組み方に、一生ついて行く!と決心しました。
特に強く感じたのはあの音楽会の時です。
わたしの中ではらぐは今のようなエンターテイメント性が高い=楽しませよう、賑やか、明るく、よりもあの当時のもっと「聴かせる」の方が好みでした。
歌を届けよう、伝えようとがむしゃらに頑張ってたあの頃の、あの完成度の高いハーモニー。
もっとじっくり聴かせて欲しいと思っていたので、初期の頃、Sheストには手拍子要らない派(昔は賛否両論だったんですよ。手拍子が…)でした。
でもいつしか…たぶんあのメドレーが生まれた、武道館を境にエンターテイメント性の方が強くなって行って。
技巧的な事で悩んでいたのは薄々感じてはいました。
彼らもテレビでいちいちすごいとか言われ続けて不安だったんでしょう。
技巧の点からいったらスピさんの方が確かに巧いとは思います。
だけとらぐのハモりが完成度が高くなり、なおかつ楽しさもそこに加わってたら無敵じゃないですか。
わたしの中では唯一無二でした。
他のバンドと比べる事自体、失礼だと思ってましたしね。
(確かにたれ目さんが1/4音が下がってるとかよくあったしね・笑←そのたびかとさんやリダが『キッ!!』ってなってたんだよね・笑)
らぐ=アカペラだったわたしはあさSunでギターが入った事に少なからずともショックを受けましたが、一番ショックだったのはやっぱり七八でしょう。
あの頃のおくんの坊主反乱とひきちさんのテレビ(出るのが)キライにはきっと楽器導入の反発もあったのでは…と。
ほんと、あの当時仲悪かったんだよね~おくんとたれ目さん(笑)
デビュー当時の関東ローカルでやってた番組で、バンドが解散するのはこの二人の不仲だって言いきられてたしね(笑)
たれ目さんがおくんに歩み寄ってなんとか事なきになって…まあ色々あったんでしょうけどね。
なんか話が逸れたけど(笑)
とにかくわたしは引地さんの音楽に対する真摯な姿勢にほれ込んだわけですよ。
ところが…。
はくしょんて…。
いや、赤坂からか…。
なんで6人以外の道を作ったの?選んだの?
あの頃からなんかもやもやが溜まりだし。
その不安と心配は現実になって。
実は赤坂でFCの継続をしようとしたんですよ。
ただ、向こう1年以上も期限は残っていたけど、写真も欲しいし何よりファンを止めるつもりは全くなかったので。
ところが。
あの時、断られたんです。
年内いっぱいの方が対象です、それ以上残ってる方は今は出来ません。と。
のりちゃんに言われてなんでですか?と言い寄ったんですが明確に答えてくれませんでした。
ものすごく都合悪そうにしてて。
活動休止の事は多分その前の年の初めに決まってたと思うんです。
らぐの正月のFCイベント、横浜であったあの最後の時から。
だってあの当時で2年先の10周年について色々考えているとたれ目さんが言ったんですね。
そしてすごく遠くを見るような目で、今後もよろしくお願いしますって。
ヘンだなーと思ったんですよ。
来年の話ならともかく、その時点で再来年の話するなんて。
来年は活動しないのか?10周年に向けて準備するから来年は少し活動が減るのか?
そう思ったんです。
それがこんな顛末に。
なので10周年を境に活動休止か解散か考えていたのだと思っています。
でもらぐファンは…しつこい(いい意味で)から納得しない。
熱いし重いし強いし…らぐふぁんて濃いですよね。
熱狂的ファンが多いから、絶対解散は受け入れないと自分たちも分かってたはず。
それが今の状態になったのではないかと考察してます。
あれ?
なんか途中で話変わったけど(笑)
あの日以来ずっと見守り続け、ライブもツアーは最低でも1か所以上参戦し、取り敢えず月に願ってフリフリツアーとその後の富士急ハイランドのイベント、それとOOO以外はすべて行ってるし。
かなり無理して遠征に出かけ。
グッズは2個買いあたりまえ。CDに至っては3枚買いはデフォルト。
費やした金額は軽四だったら1台サックリ買えるほど。
それでも悔いはない。
それだけの価値があると信じているから。
何が好きかって、あの6人が輪になってアイコンタクトを取りながら心と息を合わせて作り出す、極上のハモりが好きなんですよ。
互いに信頼、尊敬しつつ、思いやりながら、時にはバトルもしながらの、あの奇跡なハモりが大好きなんですよ。
生でしか味わえない、その時その瞬間のあの音色。
生きてるって輝いてるって実感できる、あのライブでの6人の空間が好きなんですよ。
私的には楽しいは二の次で聴かせてくれるハモりが好みですが(笑)
(わたしはあくまでもわたしで彼らと同等にはなれないので一体感はいいとは思うけど、客観的に楽しみたい方、かな)
とにかくステージ上のあの6人が好きなんです。
ずっと眺めていたいんですよ。
(その輪に自分は入らなくて結構!てか6人が神がかり的な誰も入る隙のない、団結してる感じが好きなんです)
…。
分かるかな~?こんな思い(笑)
正月早々語ってしまい、失礼しましたw
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